「遺言書は一度作れば安心」——そう思っている方が、実は少なくありません。しかし人生は変わります。子どもが独立し、事業を売却し、離婚や再婚を経験し、新たな家族が増える。あるいはかつて信頼していた人への思いが変わることもあります。遺言書を作成した時点では「完璧な内容」であっても、数年後には実態とまったく合わなくなっているケースは、私の実務経験の中でも繰り返し目にしてきました。
今回取り上げるのは、「遺言書の書き直しと撤回」というテーマです。なぜ今これを知る必要があるのか。それは、遺言書の変更や撤回には明確なルールがあり、そのルールを知らないまま「自己流で書き直した」結果、古い遺言と新しい遺言が混在して相続人を混乱させてしまう事態が、相続実務の現場で実際に起きているからです。正しい手順を知っておくことが、あなたの意思を確実に伝えるための第一歩になります。
このコラムでは、遺言書の変更・撤回に関する法的な仕組みから具体的な手続きの流れ、費用感、そして見落としがちな注意点までを実務の視点でお伝えします。すでに遺言書をお持ちの方はもちろん、これから作成を検討している方にも、ぜひ知っておいていただきたい内容です。
遺言書を「そのまま放置」することの危険性
遺言書は、作成した後に状況が変わっても、自動的に内容が更新されるわけではありません。遺言書に記載された財産の内容が変わっていたり、受遺者(財産を受け取る予定の人)がすでに亡くなっていたりすることは珍しくありません。こうした状態で遺言書が「有効なまま」存在し続けると、相続開始後に深刻な問題を引き起こします。
たとえば、遺言書に「A土地をBに相続させる」と書いていたにもかかわらず、その後A土地を売却していた場合、遺言の当該条項は原則として効力を失います(民法第1049条)。ただし、他の条項との解釈上の混乱が生じることがあり、遺族が対応に苦慮するケースがあります。また、再婚後に配偶者についての記載が旧配偶者のままになっているケースや、生前贈与によって財産構成が大きく変わっているにもかかわらず遺言書が更新されていないケースも、実務上よく見受けられます。
遺言書は「作って終わり」ではなく、ライフステージに合わせて定期的に見直すべきものです。特に、大きな財産の変動・家族構成の変化・事業の承継計画の変更があったタイミングでは、内容を確認し、必要であれば速やかに書き直すことを強くお勧めします。
遺言の撤回・変更を認める法的根拠
遺言の変更・撤回は、民法によって明確に認められています。まず押さえておきたい基本原則は、「遺言者はいつでも遺言の全部または一部を撤回することができる」(民法第1022条)という規定です。これは遺言者の意思の自由を最大限に尊重するためのルールであり、たとえ公正証書遺言であっても、作成後に自筆証書遺言で撤回することが可能です。
また、民法第1023条では「前の遺言と後の遺言の内容が抵触する場合には、その抵触する部分については後の遺言で前の遺言を撤回したものとみなす」と定められています。つまり、新しい遺言書を作成すれば、矛盾する範囲において古い遺言は自動的に効力を失います。ただし「自動的に」という点が落とし穴にもなります。全部を撤回したい場合には、その旨を明記した撤回の遺言を作成するか、遺言書そのものを破棄する必要があります。
変更・撤回の具体的な方法と手順
方法1:新たな遺言書を作成する(一部変更・全部変更)
最も一般的な方法は、変更内容を盛り込んだ新しい遺言書を作成することです。一部だけ変更したい場合は「第○条を次のとおり変更する」と明記するか、全体を書き直した新しい遺言書を作成します。後者の場合、旧遺言書との混乱を避けるため、「令和○年○月○日付の遺言書を全部撤回し、改めて次のとおり遺言する」と冒頭に明記することが実務上有効です。
新たな遺言書の形式は、自筆証書遺言・公正証書遺言・秘密証書遺言のいずれでも構いません。自筆証書遺言の場合は、全文・日付・氏名を自書し、押印することが必須です(民法第968条)。なお、財産目録については2019年の民法改正によりパソコン作成も認められましたが、各ページへの署名・押印が必要です。
方法2:遺言書の一部を訂正する(自筆証書遺言の場合のみ)
自筆証書遺言に限り、作成後に訂正を加えることも法律上は認められています(民法第968条第3項)。ただし、訂正の方式は厳格で、訂正箇所を指示し、その旨を付記して署名したうえで、訂正場所に押印しなければなりません。この方式を誤ると訂正が無効となり、元の記載が有効のまま残ります。実務上、この方法はミスが起きやすいため、軽微な変更であっても新たな遺言書を作成し直すほうが確実です。
方法3:遺言書を故意に破棄する(撤回)
民法第1024条は、「遺言者が故意に遺言書を破棄したときは、その破棄した部分については遺言を撤回したものとみなす」と定めています。自筆証書遺言・秘密証書遺言の原本を自ら破棄することで撤回の効力が生じます。ただし、公正証書遺言の場合は、公証役場に原本が保管されているため、遺言書の用紙を手元で破棄しても撤回の効力は生じません。公正証書遺言を撤回するには、必ず新たな遺言書(自筆証書遺言でも可)を作成する必要があります。
方法4:遺言と矛盾する生前行為をする(みなし撤回)
民法第1024条後段では、「遺言者が遺言の内容に抵触する行為を生前に行った場合、その抵触部分については遺言を撤回したものとみなす」とされています。たとえば「この土地をAに遺贈する」と遺言していたにもかかわらず、生前にその土地をBに売却すれば、売却部分については遺言が撤回されたとみなされます。これは意図せず遺言が変更される場合もあるため、注意が必要です。
費用と期間の目安
遺言書の変更・撤回にかかる費用は、選択する方式によって大きく異なります。
| 方式 | 費用の目安 | 期間の目安 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 自筆証書遺言(新規作成) | 行政書士報酬2万〜5万円程度(サポートを依頼した場合) | 1〜2週間程度 | 費用が抑えられるが方式ミスのリスクあり |
| 公正証書遺言(新規作成) | 公証人手数料2万〜10万円以上+行政書士報酬5万〜10万円程度 | 2〜4週間程度 | 紛失・偽造リスクがなく最も安全 |
| 法務局保管制度への預け直し | 保管申請手数料3,900円(1件) | 申請当日〜数日 | 自筆証書遺言の改ざん防止に有効 |
公正証書遺言の公証人手数料は、遺言で扱う財産の総額に応じて「公証人手数料令」で定められており、財産額が多いほど手数料も高くなります。たとえば財産総額が1,000万円の場合は2万3,000円、5,000万円の場合は4万9,000円が目安となっています(令和6年時点の基準)。ただし受遺者が複数いる場合は加算されることがあるため、事前に確認することをお勧めします。
見落としがちな落とし穴と注意点
「日付の新しい遺言が優先」は部分的にしか当てはまらない
「新しい遺言が古い遺言に優先する」というのは、両者が矛盾・抵触する部分に限られます。矛盾しない部分は古い遺言も有効なまま残ります。たとえば第1の遺言でA財産をBに、第2の遺言でC財産をDに、とそれぞれ記載していれば、両方が有効です。全部を書き直したつもりでも、旧遺言の一部が生きている状態になることがあるため、書き直す際は「前の遺言全部を撤回する」旨を明記するか、1通にまとめる方が安全です。
法務局保管制度を利用している場合の取り下げ
2020年7月からスタートした「自筆証書遺言書保管制度」(法務局での保管)を利用している場合、遺言書の内容を変更するには、まず法務局に対して「保管の申請の撤回」(保管の取り下げ)を行い、遺言書の返還を受ける必要があります。その後、新たな遺言書を作成して再度保管申請を行います。保管したままの状態では訂正を加えることができない点にご注意ください。
撤回の遺言自体が撤回された場合の取り扱い
民法第1025条には、「撤回の遺言が撤回・取り消しされた場合でも、前の遺言は原則として復活しない」という規定があります。つまり、「A→B(Aを撤回してBを作成)→Bを撤回」という流れをたどった場合、Aが自動的に復活するわけではありません。改めてAと同じ内容の遺言を作成しなければならない点を覚えておいてください。ただし判例では一定の事情がある場合に復活を認めることもあるため、専門家への相談が重要です。
認知症・判断能力の低下がある場合の遺言変更
遺言書の作成・変更には「遺言能力」(民法第963条)が必要です。遺言能力とは、遺言の内容・効果を理解できる判断能力を指します。認知症が進行している状態での遺言変更は、後に「遺言無効確認訴訟」の対象となるリスクがあります。医師の診断書を取得する・公正証書遺言として公証人に確認してもらうなど、能力の証拠を残す対策が有効です。
専門家に依頼するメリット——一人で悩まないために
遺言書の変更・撤回は、法律上は「自分でできる」手続きです。しかし実務では、方式の誤り・旧遺言との矛盾・財産状況の変化への対応など、専門的な判断が求められる場面が多くあります。私が相談を受けるケースでも、「自分で書き直したけれど、これで大丈夫なのか不安で……」という声をよく耳にします。
行政書士に依頼する場合、現行遺言書の内容を確認したうえで、変更すべき点・現状に合った記載内容・適切な遺言の方式を提案します。また、財産目録の作成サポート・公正証書遺言の場合の公証役場との調整・法務局への保管申請手続きの代行なども対応可能です。特に事業承継を見据えたクリニック経営者の方や、複数の不動産・法人財産を持つ経営者の方は、遺言書の内容が事業承継計画・株主構成・後継者指名と整合しているかという観点も含めて確認することが重要になります。
なお、遺産分割協議書の作成・相続放棄の申述・遺言執行に関する法的判断が生じる場面では、弁護士・司法書士との連携が必要になることもあります。行政書士はその窓口として、全体の流れを整理し、適切な専門家につなぐ役割も担います。「まず相談してみる」という一歩が、後の大きなトラブルを防ぐことにつながります。
まとめ:遺言書の変更・撤回で知っておくべき要点
- 遺言者はいつでも、相手方の同意なく遺言を変更・撤回できる(民法第1022条)。
- 変更・撤回の方法は「新たな遺言書の作成」「遺言書の破棄」「みなし撤回」の3種類。ただしそれぞれ要件・効果が異なる。
- 公正証書遺言を撤回するには、手元の用紙を破棄するだけでは不十分。新たな遺言書の作成が必要。
- 新旧遺言書が混在すると、矛盾しない部分は双方が有効のまま残る。全部を書き直す場合は「前の遺言全部を撤回する」と明記するか、1通にまとめる。
- 法務局の保管制度を利用している場合は、まず「保管の取り下げ」が必要。
- 撤回した遺言を撤回しても、前の遺言は原則として自動復活しない(民法第1025条)。
- 判断能力の低下が懸念される場合は、公正証書遺言の形式と医師の診断書の取得が有効な対策となる。
- 遺言書は「ライフステージの変化」「財産構成の変化」「家族構成の変化」のタイミングで見直すことを習慣にする。
Closing Note
「遺言書はいつでも書き直せる」という自由は、遺言者の意思を最後まで尊重するための大切な権利です。しかしその自由を正しく使うためには、仕組みを知っておく必要があります。私がこのテーマを取り上げた理由は、「古い遺言書が残っていたために家族が困った」という事例を、実務の中で繰り返し見てきたからに他なりません。
遺言書は、あなたの大切な意思を未来へ伝えるための文書です。人生の節目に「自分の遺言書は今の状況に合っているか」と問い直す習慣を持っていただけると、多くのトラブルを未然に防ぐことができます。変更・撤回の手続きについて少しでもご不安がある場合は、ぜひ一度、専門家にご相談ください。